すべては与えられるもの



みんなどうしてますか。
わたしは元気です。

今日久しぶりに本を借りてきて読んでいる。
フィクションだの小説だのというジャンルが嫌いなわたしが、今手にしているのは日記だ。
そう、アナイスの。

19歳から一生懸命読んだアナイスニンの日記だが、無削除版が2008年に日本語訳された。
実はあまり興味が持てなくてずっと放置していたが、とうとう好奇心に負けて読んでみることに。

巻頭に訳者が、この日本語訳の編集作業について書いている。
つまりは以前に翻訳されているアナイスニンの日記と重複している部分を削除しているという。

以前に翻訳されているこのアナイスニンの日記、
…これはわたしが非常に親しんだ作品なのだが…
こちらの編集は生前アナイス自身が編集作業を行ったものを土台にしており、
アナイスの内的な真実により忠実な作品として纏められている。
身も蓋もない言い方をすれば、アナイスの編集によって事実はどこかへ置き去りにされ、アナイスの内的な問題だけがスポイルされている。

だが、しかし本当に必要なのはこういう内的な真実の部分なのであって、事実関係など実際二の次…
わたしの価値観でいえばどうでもいいこと、だ。

事実関係とやらをみれば、それは大層スキャンダラスなんだろうし、
アナイスの周りの恋愛関係…あの作家とあの作家付き合ってたんだってよ。
という構造を追いかければ、ゴシップ誌が何十冊も出来そうな勢いだ。

正直、知るか。
である。

で、
「内的な真実の部分」は既出なのだから、そこは外しましょうという作業を行うと、
一体何が残るのかということです。

言えるのは「アナイスニンの日記」よりもこの無削除版「インセスト」は事実関係がわかりやすい。
寝たなら寝たと書いてあるし。

だがしかし、
つまらん。


あの「アナイスニンの日記」を読んだ時のような、抉られるような迫りくるような…
そんなものは微塵もなく、
寝たの。あっそう。と冷めた視点で見てしまうんですよ。

アナイスのことが自分は知的だと思いあがっている平凡で多情で弱弱しい女に見える瞬間があって、まことにつまらんのです。


わたしはヘンリーを大した作家だと思えた瞬間がないんだけど、
でも彼の著作を読んでないからしょうがないのかもねと思っていた。
実際読もうとしたことは何度もあったんですよ。
でも、つまらないんだもん。
5ページ以上、我慢できないですよ。

こうしてみるとアナイスもけっこうつまらん女なのかも知れない。



話が飛ぶようだが、彼らに欠けている部分が今の私なら判る。
それは敬虔さだ。

より大きな敬虔さに沿うように、大きく強いイデアが与えられる。
それが芸術家の器であり、人間の器であり、預かるものの器なのだ。
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by osorahahitotu | 2011-11-20 23:09 | ひとりごと
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